短い2月が今年はさらにあっ!という間に吹き飛んでしまいました。
なぜなら新型コロナウイルス感染症になってしまったからです。
書こうか否かだいぶ悩みましたが
自身の備忘録であり、
さらに、自宅療養、ホテル療養、宿泊治験、病院入退院、実家隔離
すべて体験したことも
どなたかの何かの参考にでもなればとの思いもあり書くことにしました。
かなりの長文になります
COVID-19陽性判定まで
前の晩少し体温高いかな と思って目覚めた2月10日、
朝は37.1℃
しかし徐々に上がり夜は38.0℃に。
翌11日カミさんが当直帰りに持ってきてくれた
抗原簡易検査キットにてチェック
右の穴に鼻からとった検体と試薬を混ぜた液を3滴、
まず「C」の位置に青色のバーが現れます。
15分経ってもそのままならば陰性、
しかしワタクシのように「T」の位置に赤色のバーが立つと
陽性なのです。
(註:日にちが経っているので色が薄い)
さあ!緊張が走りました。
この日は祝日のためかかりつけ医は休診
体温は37℃前後を行ったり来たり。
翌12日は土曜日なので発熱外来はないはずでしたが
ダメもとで電話すると即座に先生が対応、
何度かの電話やり取りのあと
「14:50ちょうどにおいで下さい」
通常外来が多く昼休み無しで対応してくださったようで
ありがたいことです。
クリニックの外扉と内扉の間に座らされ
完全防護服の先生がアクリル板に開いた穴から手だけ出して検査。
しばらくしてやはり陽性との判断で、保健所に連絡しますと。。
4週間分の通常の薬と咳止めなどいただいて終了。
診察券を見せることもなく診療・薬代を払うこともなく
帰されました。
どこでコロナを拾ったかということについては「不明」です。
6日にライブをしてますが、参加関係者4人は全員シロ。
かかりつけ医の見解では、
普通に外でマスクの間から取り込まれたのだろうとのこと。
隙間は大ありでしょうからね・・
ホテル療養を目指す
カミさんが医療関係者なので在宅隔離を避けるため
保健所からの連絡を待たずに
13日朝からホテル療養希望で電話をかけまくりました。
東京都内の受け入れ宿泊施設は31か所、
近くにはないので交通の便を考えてダメもとで2か所を希望しました。
夕方になってありがたいことにホテルが決まったとの連絡
それも希望のホテルでした。
その日のうちに着替えなど荷物の準備、
発症確認から3日たってるので
カミさんを濃厚接触者→自宅待機にしてしまい申し訳なかった・・・
翌14日、午前中に迎えの車が来るということで待つ。
やってきたワゴンタイプは女性のドライバー。
ワタシのあと2名拾っていくという。
あ、やっぱりコロナ多いんだ と熱っぽいのに身が引き締まります。
11時前、ホテル到着。あまり大きくはない。
防護服を着た職員の方がてきぱきとワタシらを誘導。
必要事項の入った大きな封筒を渡されキーをもらい各部屋へ。
ワタシは7階、
普通のビジネスホテルのシングルルームです。
朝、昼、夕食は弁当で、館内放送の誘導で1階まで取りに行きます。
その時以外は外へ出ることは禁止。
しかしエレベータの“密”は戦慄を覚えました。
だって全員コロナ陽性者なんですよ!
健康状態チェックのため体温計、パルスオキシメータが各自に渡され
決まった時間に自分でチェックして
健康チェックシート「LAVITA」とかいう
よくわからないアプリで報告します。
このアプリ、登録するのに手間がかかるうえ
文字やタッチする部分が小さすぎで何度も誤記入してしまう。
あげくはパルスオキシメータが上手く使えず、
酸素飽和度が既定の97に届かない。。
いつも92か3くらいなので 何度も内線がかかってきてしまいます。
ワタシが保健所より先に動いたこともあって
いろいろ検査だ確認だでバタバタやっているときに
何度も保健所から着信があって同時に対応なんてできないから
無視しておりました。
で、そっちもそっちで「HER-SYS」とかいうアプリに
登録して入力せよという。
この「HER-SYS」に至ってはパスワードがわからなくなり
挙句は自分の携帯番号であるはずのIDすら間違いだと言って
再登録することすらできない。
こんなんでどうするの??
面倒なので以後、いっさいHER-SYSは使いませんでした。
中和抗体薬による治療
ホテル初日も夕方近く、
「中和抗体薬治療」という軽症者の重症化を防ぐ
点滴治療の希望を聞いてきました。
ワクチンを打っていなくて、罹患し迷惑をかけたという思いもあり、
カミさんとも相談し治療を受けることにしました。
翌15日朝、たった一泊であわただしくホテルを出て
オリンピックの駐車場跡地に去年作られた
「酸素・医療提供ステーション築地」に移動し入所。
プレハブのような簡素な平屋づくり
ベッド数は161床あるとのことですがほとんど空いていて、
ワタシは端っこの49番のベッドになりました。
入院したことがないため本格的な点滴は初体験。
なんかあちこち血管を探しまくられ
ようやく刺したところがめちゃくちゃ痛くて
うなりかけましたが、ガマン
なんかものすごく深く刺すんだなぁと思いながら横たわっていました。
30分ほどの点滴と、要観察をひと晩。
針を抜いたあとが丸く青あざのようになって痛みました。
トイレまで歩いていく廊下はレッドゾーンとグリーゾーンが分かれていて
薄暗く印象的でした。
これで自分の何が変わったのだろう?
コロナに無敵な体になったのなら良いけど そんなはずないしなぁ
体の変調などもなく一夜が過ぎ、翌16日朝退所、
再びホテルのおんなじ部屋へと戻りました。
熱が下がらず病院行き
ホテルでは毎食の弁当が豪華とは言わないけれど、
新橋演舞場や明治座の幕の内弁当など美味しいのが多くて
こりゃコロナ太りになると思い、毎食残すようにしました。
この日は熱が最高39℃に達してしまい、
パルスオキシメータも相変わらず上がらず
看護師に入院しましょうと言われる始末。
おいおい、毎日移動ですか?
39℃ではあるけれど、さほど熱っぽくなく胸や咳が苦しいこともなく
食欲はあるので2、3日おとなしく泊めさせてもらえれば
良くなると思うのにと言いたいところをグッと我慢し、
翌17日に病院入院と相成りました。
はじめっから入院でよかったんじゃない??
3つ目のお泊り施設は都立広尾病院。
すっげぇちゃんとしたとこに連れてこられたのでビックリ!
ものすごく疲れてるはずなのに
医師も看護師もみんなやさしい。。涙が出ます
6人部屋でカーテンで仕切られてるけど
ゆったりなつくりなので狭くない。
ただ酸素吸入してる人や咳き込んでる人もいて
やっぱりコロナ病棟だということが身に沁みました。
かく言うワタシの立場は
COVID-19、中等症Ⅰ、緊急入院
レントゲンによるとぽつぽつと小さな肺炎の影があるとのことで
入院して正解だったのでした。
持病はいくらでもあるけど、
若干の糖尿以外は薬で正常値であることも血液検査で確認できました。
ただし「CK」という酵素が7000という高数値でチェック、
通常は270以下らしく
心筋梗塞や心筋炎が疑われるとのことで
いろいろ聞かれたり触診されたり・・・
でも要観察で毎朝血液検査ということになりました。
そうだ去年プロ野球の若手で
ワクチン接種後に心筋炎でなくなった選手いたじゃないですか!
いやなこと思い出してしまいました。
その後退院までに数値は徐々に下がり300までになったので
問題なしということになりましたが
原因はわからないとのこと。わかりたいなぁ。。
体温は37℃以上はほとんど記録しなくなり、安定
パルスオキシメータは常につけられて身動きしづらい状態でしたが、
93で異常なしと言われました。
あれ?医療機関によってとらえ方違うんですかね?
息苦しくなければ大丈夫だとのこと。
最終的には96~7あたりになりました^^
一番大変だったのが点滴。
先日の治療薬ではなく、普通の溶液らしいですが
昼から翌朝までとか、長時間が多くてキツイ。
3日目あたりで4時間だけという日がうれしかったです。
あと点滴針ですが、あれは指すときだけ針を使って
点滴中は抜いてシリコンの管 カテーテルで入れてるのだという。
入院経験がなく知識がないといつもビクビクしてるから
これは安心しました。
安心が退院に向かってくれました。
治癒に近い状態ってなに?
いろんなものを常に体につけてるので
それらをはずせた4日目にようやく初めてシャワーを浴びました。
足の筋力が衰えてるなぁと感じましたね。
点滴による青あざが左腕に二つ、右に一つ。
寝てるだけだから音楽のことを考えることもできない。
ホテル仕様で入院したから、着替えなども足りない。
食事は薄味で量は少なかったけど、ワタシには美味しかったです。
入院して5日目、2月21日の朝
いきなり初対面の医師がベッド脇にやってきて
「明日退院できますね」と言ってくれた
アタマの中がお花畑になりました~
ベッドの上ででかい板(?)を持ってレントゲン撮影。
へぇ~ベッドの上で出来るんだ。
72時間以上37.5℃以下の体温も退院の条件です。
一度興奮して37.3℃になりましたが セーフ 通常36℃台半ば。
翌22日朝9時40分めでたくシャバに無罪放免。
退院証明書 いただきましたよ。
「治癒に近い状態(寛解状態含む)」と書いてあります。
そうか、陰性かどうかなんてチェックしてないもんなぁ
今回のコロナというウイルスとどう向き合うのかというのは
いまだ人類は決定打を打ち出してないんですよね。
警備員に聞いて歩いた広尾駅までの8分が長かったこと!
足がふらふらで、荷物の重さに負けてる。
実はぶかぶかのジーンズにベルトを通さずに履いてきたものだから
ズボンが脱げ落ちそうになるなる。
下り階段はこわいです。
やっとのことで2回乗り換えて我が家に帰ってきた・・・
はずでした!!
さらに自宅に戻れず
実は濃厚接触者ながら無症状だったカミさんが2日前
PCR検査で陽性となっていたのです。
仕事復帰のための証明として検査したらの結果でした。
カミさんはもちろんワクチン接種3回終了しています(すべてファイザー)
だから罹っても症状が出なかったのかもしれません。
こういう隠れ陽性が町中にあふれてるのは確実だと思うので
誰がどこでコロナを拾ってくるかなんてまったくわからないでしょう。
だからといってコロナへの対応をしなくてよいはずはなく、
マスク手洗い密にならないは当たり前のこととしてやるべきと思います。
ワタシは仕方なく、着替えだけ荷物を取り換えて
実家にしばらく居候することにしました。
実家といっても父母はもういないので妹と二人だけです。
そして4日後、2月26日の朝
カミさんの療養期間が過ぎ、およそ2週間ぶりに自宅へ帰りつきました。
濃密な状況だったのですごく長い時間と感じましたが
今思うと あっという間だったようにも思います。
3月になってようやく体がフワフワしなくなり
体力も戻った感じです。
ここまで読まれた方、ありがとうございました。
そしてコロナにかかわるすべての関係者の方に感謝いたします。