急行「伊豆」としての185系の記憶
東海道線の特急「踊り子」で親しまれた車両185系が
12日で定期運行から引退となるそうです。
個人的なことで恐縮ですが
40年前185系が世に出たころの思い出があるので
お話させてください。
専門学校時代、1981年の夏は8月の一か月
毎日東京―伊豆急下田間を往復していました。
特急・急行の車内販売のアルバイトをしていたのです。
当時は国鉄、まだ特急「あまぎ」と急行「伊豆」が走っていて
その年の秋からL特急「踊り子」に統合される直前の
繁忙期の短期バイトでした。
「あまぎ」は旧国鉄特急色の車両(183系)、
「伊豆」は東海道線とおなじ湘南色の車両です。
くそ暑い時期なのに
「伊豆」には冷房がついてなくて(全車かどうかは忘却)
今では信じられないですね。
最寄りの総武線にほとんど冷房がないのにも腹立ちましたが
余談はともかく・・・
車内販売はビールにおつまみ、お弁当、アイスクリームいかがですか?
そうそう煙草ありましたね。禁煙車両はなかったと思います。
カート?をガラガラ引っぱって売り歩くんですが、
各車両の端 デッキ部分の出入りでは扉を手であけなければならず、
段差のある車両もあって難儀しました。
こんな折、秋から「踊り子」になる前の新型185系が
なんと急行「伊豆」に一部投入されていたのです。
185系だと全車冷房&自動扉!!
販売員にとって185系「伊豆」は特急よりも格別の喜びでした
勤務は「伊豆9号→16号」「あまぎ1号→伊豆8号」
のようなシフトになっていて1日1往復。
伊豆急線内途中折り返しや急行「東海」熱海往復というのもありました。
憶えてるのは日給3400円だったこと(激安!)
歩合制ではないので空いてて売り上げが少ないほうが楽なわけです。
帰ってくるまでに清算済まさねばならないのでそういう意味でも・・・
最繁忙お盆前後は混雑でカートを引き回せず、
“箱売り”といって売り物を箱に入れて抱えて売ったものでした。
混んでて迷惑がられたり
(ヤ)系の人に絡まれそうになったりもしたけど
外人の小さな女の子が「あいすくりーむ・ぷりぃず」って買ってくれたり
帰り横浜―東京間では清算が終わり空いてるときには
指定席に座っていてもおとがめ無しだったり
良き思い出です
暗算の力量アップとドライアイスを素手で持てるようになったのは
役に立ったのかしら・・・
こうして10回ほど乗った185系ですがその後乗ったことがないですね
というか伊豆急行線乗ってないです。
普通列車や新幹線リレー号でも使われてましたが
そちらでも無いです。
だからなのか もう40年たったということに実感がないです。
だって185系の当時の姿や
車内の様子を手に取るように覚えてますから・・・
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